砲兵の仕事 4 (最終防護射撃とは?)
1942年10月のガダルカナル島で我が仙台師団の夜襲を粉砕したアメリカ軍の火力集中は「最終防護射撃」と呼ばれ、圧倒的な物量と火力を誇るアメリカ軍ならではの火力発揮システムとして知られています。日本軍には到底真似のできない圧倒的に強力なシステムとして物々しく語られ、敵の肉迫攻撃に曝されたアメリカ軍が白兵戦に移行する前に最後に実施する強力な無照準射撃法として説明されているようです。けれども1942年のアメリカ軍というあまり経験の無い陸軍がどうしてこのようなシステムを作り上げることができたのか、不思議に思うのももっともな事ではないかと思います。もし、そこにありそうも無いものが存在したら、それは何処からか持ってきた物なのです。
第一次世界大戦で緒戦の機動戦が終息し、戦線が膠着状態になると攻撃側は敵砲火の統制が取りにくい夜間攻撃を重視するようになります。観測所を利用した間接射撃もできず、直接照準射撃も暗闇で妨げられるからです。夜間の攻撃で防衛線内に敵が入り込まれるとその排除は非常に厄介ですから、何とか初期段階で突撃を粉砕したいとの考えから、イギリス陸軍は「SOS射撃」を導入します。
「SOS射撃」とは、予め設定された防衛線前方の区域を敵の攻撃の兆候をつかんだ段階で即時、盲目射撃する射撃法のことです。友軍に損害の及ばない程度の前方に試射を行っておき、「SOS射撃」発令時にはその射撃諸元でただちに砲弾を撃ち込みます。1915年にイギリス陸軍が「SOS射撃」を導入した当初、その発令は砲兵陣地で最前線からの銃声を聴取した瞬間とされていました。その後、「SOS射撃」は最前線の塹壕線から守備についた歩兵部隊指揮官が電話で要請できるようになります。
この射撃法は実際に敵の夜襲粉砕に極めて有効でした。敵の活動が見えた、聞こえた時点で砲弾の雨を降らせる即応性は高く評価され、その後のイギリス軍野砲兵の標準的な戦術として継承されることになりますが、同時に大きな欠点も抱えていました。それは誰でも気がつく通り、「大量の砲弾を消費する」「撃った弾丸の殆んどが無駄」「誤報による発令が極めて多い」という問題です。
夜間の守備につく歩兵部隊としては敵の攻撃の兆候が見えたとたんに「SOS射撃」を要請するのが普通です。ただでさえ遠方の状況が見えない夜間で対応が遅れれば取り返しがつかないからです。そしてもし「SOS射撃」が間に合って、効果が上がれば自分達の部隊の損害は最小で済むのですから「SOS射撃」を要請した「敵の攻撃兆候」がたとえ単純な偵察行動だったとしても、極端な場合、幻聴に近いものであったとしても攻撃兆候を見逃すリスクに比べれば「誤報」もやむなし、というのが歩兵部隊の考え方です。
けれども、こうした「SOS射撃」の頻発はただでさえ不足気味の砲弾の供給をさらに逼迫させる大きな負担となります。攻撃予定日の前夜に「SOS射撃」が発令されたために攻撃当日の準備砲撃に使う砲弾が使い尽くされてしまった例もあり、「SOS射撃」はなまじ有効なだけに厄介な存在として問題視され始めます。「SOS射撃」のシステムは1915年の導入以来、どんどん精緻なものに進化して行きますが、結局のところ大戦末期にはあまり使われなくなります。防御陣地と戦術がドイツ軍の影響を受けて改良されたことと、防御のための砲撃術そのものがより効率的なものに変化していったからです。それがどのように変化したかはこれから紹介する予定ですが、第一次世界大戦で生まれた「敵の肉迫攻撃に対して防衛線前方に無照準で全火力を注ぎ込む」というイギリス陸軍の通称「SOS射撃」は一般的には「Final Protect Fire」=最終防護射撃と呼ばれています。
「最終防護射撃」は第二次世界大戦時に生まれた訳でもなければ、ましてアメリカ陸軍の高度に洗練された科学的思考と豊富な物量に裏打ちされた最新の戦術でもありません。アメリカ陸軍にとって「最終防護射撃」は戦間期の思想的停滞によって継承されていた前大戦で学んだ旧戦術そのもので、これを第二次世界大戦時に復活させたイギリス陸軍にとってはやむにやまれぬ復古的発想だったのです。そして誕生当時においては止めたくても止められない「砲弾浪費の元凶」でした。
4月 21, 2010
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

3 Responses
以前より大変興味深く拝見いたしております。砲兵の仕事シリーズ、勉強になります。
このたびは初めて書き込みいたします。
「最終防護射撃」そのものは存じ上げておりましたが、第一次世界大戦にほぼ同じ原型が存在しているとは、正確には知りませんでした。またそれが、戦間期の停滞によって米国に継承されているとは新しい発見でした。
日本陸軍が第一次世界大戦をどのように経験したか(あるいは経験しなかったか)という点とその後の問題については、さまざまな場所で検討されていますが、ガダルカナルその他で陸軍が最終防衛射撃に屈したという事実に、第一次世界大戦の歴史的経緯が反復される形で影を落としているという具体的なご指摘を拝見して、身震いとともに史実の興味深さを再認識いたしました。
これからも記事を楽しみにしております。
最終防護射撃も興味深いですが、その端緒が独軍の夜襲防止にあったというのも驚きです。
夜襲は日本独特の戦法で、欧米ではほとんど行われていないと確たる根拠もなく考えていました。
930.jpさん
ありがとうございます。
詰まる所はWW1とWW2はまったくの地続きで、まるで天変地異のように受け入れられているアメリカ軍の戦術にもそれぞれの顔に目鼻もあれば、名の通った親もいるという誰でも気がつく話なのでしょう。
ペドロさん
最終防護射撃がなぜ廃れたか、という話題もこれから触れますのでよろしくお願いします。
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