砲兵の仕事 2 (理論のみがあった間接射撃)

 間接射撃とは敵が見渡せる位置からの情報を得て、直接に敵を狙えない位置にある砲兵が砲撃を行うことです。砲兵から見えない目標を、敵から見えない砲兵が射撃するのですから、これは画期的な戦術で、大砲の歴史が始まって以来の大きな変革です。その歴史は古く、1750年代には既にロシア軍で間接射撃の実績があります。

 間接射撃の良いところは、前方の観測員からの情報で射撃することで、精度を維持しながら射撃距離を大きく取ることができ、敵から見えない位置に砲兵を配置できる点です。距離を大きく取ることができればより多くの砲を目標に指向できます。敵から見えないように配置されれば反撃されて損害が出ることもありません。実に良いことずくめの戦術ですが、第一次世界大戦まで間接射撃は多用されることなく、野戦砲兵は近距離肉迫直接射撃を主戦術に据え続けています。

 その理由は大きく分けて二つあります。一つは機材と技術の問題です。間接射撃が理想的なのは誰もがわかっていたことですが、それが実戦で常用できるとはほとんど考えられていません。なぜなら観測所からの連絡手段が無いからです。そして野砲の側にも間接射撃に適応する照準機材がありません。観測所から砲側まで有線の野戦電話を設営できれば理想的ですが、野戦電話を簡単に設置できるようになるのは第一次世界大戦以降のことです。20世紀初頭では視覚信号に頼るか、伝令を走らせるか、前線から点々と連絡要員を置いてメモを手渡しするか、そんな手段でしか野戦の現実に即応できません。実際に第一次世界大戦直前のイギリス陸軍砲兵隊の一般的な間接射撃用情報伝達手段は「メガホンと大声」だったのです。

 もう一つの理由は機動戦志向です。進撃する歩兵や騎兵に重い大砲をどうやって追従させるかを考えに考え抜いて来たのが野戦砲兵の歴史です。口径を制限して軽量化し、運用を工夫して、さらに弾薬補給体制を整えて、連続射撃に対応できるよう機材と組織を作り上げて来た伝統がありますから、間接射撃という回りくどい戦術を採るくらいなら、最前線に躍り出て迅速に放列を敷き、直接照準で肉迫射撃を行う方が陸戦の駒の一つとして扱い易いという考え方です。野砲の口径の小ささは軽砲ゆえの発射速度と軽砲ゆえの機動性で補うという19世紀型の機動戦ドクトリンが各国の75ミリ平射野砲部隊を支えていた訳です。

 機動戦というだけで何か新しい発想のような印象を受けますが、砲兵戦術を火力主義から遠ざけて足踏みさせていたのは他ならぬ機動戦理論です。そんな停滞の中で欧州諸国が注目していたのが20世紀最初の大規模陸戦である日露戦争の展開でした。普仏戦争以来、久々に戦われた近代的陸軍同士の戦闘の経過は各国陸軍にとって重要なサンプルとなっています。その日露戦争の陸戦でまず認識されたのが弾薬消費量の増大です。それまで欧州各国が予想していた消費ペースを遥かに超えて砲弾が使い尽くされたことは、将来の戦争で大量の砲弾を量産できる体制と、それを円滑に補給できる組織を作り上げなければならないことを予告していました。自分達が発想して作り上げた野戦砲兵とその戦術を実戦で使ってみると今までの常識を超えた砲弾を必要とすることが判明したのです。

 そして次に注目されたのが間接射撃の実施です。攻城戦を除き、それまで理論の中にしか存在しなかった野戦での間接射撃で最初に実績を上げたのはドイツ式の理論を学んだ日本陸軍だといわれています。鴨緑江の渡河作戦などでロシア軍陣地攻撃の必要を感じて、学んだ理屈はちゃんと実践してみた日本陸軍の野戦重砲兵(観測車と観測要員を持っている)についてはタイムズ誌がこのように報道しています。

 「義州付近に隠蔽されありたる砲兵大隊は三十日午前十時に至りその砲火を初め午後五時に至るまで九連城における露軍の陣地を砲撃せり」
「日本砲兵が甚だしく優勢なりしと、重野砲の戦場に現れたるによりて双方砲術の技量はこれを比較するを能わず。然れども日本人が如何にして歩兵と砲との行動を連絡せしむべきやを解し、至高に発達したる戦争の方を有するものたるは明らかなり。」

 日本陸軍が野戦に重砲を投入したこと、そして歩兵の攻撃と上手に連携させたことはこうした報道に値するひとつのニュースだったことがわかります。この当時の各国陸軍では日本陸軍が砲兵戦術面でかなり高い水準にあり火力主義の実践ではむしろ最先端にあったようです。緒戦で前方配備した友軍野砲を叩かれたロシア陸軍はようやく戦術転換を試みて、遼陽会戦で初めて野砲の間接射撃を実施します。観測所からの情報伝達は有線電話を使用しましたが、実際に使ってみるとせっかく敷設した電話線は敵の砲弾で吹き飛ばされて実用にならず、結局のところ前方の観測所から一定距離に伏せて待機させた伝令が手書きのメッセージをリレーしたとされています。

 そんなロシア陸軍の顛末は観戦武官を通じて具体的に伝えられたようで、ロシア陸軍内での懐疑的態度も手伝ってそれから10年の間、重砲の野戦投入や野戦砲兵の間接射撃は本気で検討されることなく時が過ぎて行きます。ただひとつの例外として日本陸軍の師匠でもあったドイツ陸軍はフランス、ベルギー国境の陣地を突破するために機動性の低下を忍んでも重砲の野戦への投入が必須であると判断して、この目的のためにドイツ陸軍は師団砲兵レベルに15センチ級の榴弾砲を配備し始めます。

 それまで標準的に配備されていた77ミリ野砲より格段に威力の大きい15センチ榴弾砲は当然のように重い機材ですから軽砲のように身軽ではありません。そのために長射程を生かして戦う必要があり、敵野砲をアウトレンジするためには砲兵観測を利用した間接射撃が求められます。新発明の飛行機はこうした野戦での砲兵観測に適性があり、その可能性を国境陣地突破という具体的な目的のために、フランスやイギリスよりも真剣に考えていたことがドイツ陸軍航空隊の発達を促していたということで、ドイツ参謀本部の将校達が飛行機に熱心だった理由はそんな具体的課題があったからです。日露戦争の戦訓解釈、将来戦への応用と機材、組織の整備が航空部隊の育成へと繋がっていったのです。こうしてドイツ陸軍が野戦で重砲兵を使いこなす見通しを得たことで野戦砲兵の変革が始まります。

4月 14, 2010 · BUN · 4 Comments
Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

4 Responses

  1. 虎山 - 4月 21, 2010

     いつも、面白い話を有難うございます。

    > この当時の各国陸軍では日本陸軍が砲兵戦術面でかなり高い水準にあり火力主義の実践ではむしろ最先端にあったようです。

     日露戦争の戦記等では日本軍の砲兵が全く役に立たず、28センチ砲だけが活躍したように読み取れてしまいますが、実はとても優秀だったのですね。 「砲兵の仕事3」と読み比べると、日露戦争中の砲弾不足は、日本以外の何処の国でも同じような状況に陥ったのではないかと思えます。

     これからも、宜しくお願いします。

  2. BUN - 4月 21, 2010

    虎山さん

    ようこそいらっしゃいました。
    砲兵は物量の権化のような存在で英雄物語から遠いイメージがあるせいか、
    さっぱり人気がありません。
    それゆえにこんな話でも書けばそれなりに面白いかな、と思っています。
    よろしくお願いします。

  3. ふむふむ - 1月 11, 2016

    昔に陸軍砲兵の方々、優秀だったのですね 🤗 間接射撃・理論は早くからわかってたのですね。興味深く読ませていただきました。 戦争映画でも砲を撃つ場面だけでなく もっと観測者や砲の操作やFDCの動きなんか入れたら良いのでは、、、、闘鶏思いましたが 万人受けしないかもですね。😣 大昔 自⚫️隊の 迫撃砲小隊で算定手してたオヤジより

  4. ふむふむ - 1月 11, 2016

    昔に陸軍砲兵の方々、優秀だったのですね 🤗 間接射撃・理論は早くからわかってたのですね。興味深く読ませていただきました。 戦争映画でも砲を撃つ場面だけでなく もっと観測者や砲の操作やFDCの動きなんか入れたら良いのでは、、、、と思いましたが 万人受けしないかもですね。😣 大昔 自⚫️隊の 迫撃砲小隊で算定手してたオヤジより すいません 変換間違えてわけ分からん単語が入ってしまったので再送しました

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