砲兵の仕事 1 (重視されなかった野戦砲兵)

 今まで、航空部隊が一般に砲兵観測を通じて発展したことを紹介しましたが、砲兵支援を重視した割には世界大戦前半での連携が上手く行かないのは何故なのか、ちょっと納得の行かないものがあります。航空という新しい兵科が試行錯誤の連続だったにしても、望まれて生まれたはずのシステムが現場から信用されなかったり拒絶されたりするとは、どうにも腑に落ちないものです。

 そんなときは航空観測が奉仕する相手である砲兵について考えてみたくなります。航空の側に全責任がある訳ではないことはわかるけれども、事実として連携が上手くいっていない。もしかしたら望んでいるのに連携できないのは当の砲兵が観測による支援そのものに習熟していないからだ、としたらどうでしょう。実は野戦砲兵の常識のように思える組織的な間接射撃そのものが、航空機や戦車、ド級戦艦と同じように、第一次世界大戦で生まれたひとつの新技術だったとしたら、どうなのでしょう。もしそうであるなら、砲兵の実態について調べれば航空機や戦車の誕生とも関連する面白い視点が得られるかもしれません。

 航空機や戦車の無い時代、あるいは機関銃さえ無かった時代に野戦での火力発揮は主に砲兵によって担われていたように思えます。確かにそれは事実です。19世紀前半まで、野戦の戦死傷者の約半分は砲兵の射撃によって発生していたと言われていますから、まさに砲兵は陸戦の王者です。ところが時代を追って細かく見てゆくと、1860年代以降で様子が変わってきます。アメリカ南北戦争、普墺戦争、普仏戦争での戦死傷者のうち、砲撃によるものは全体の10%程度でしかありません。第一次世界大戦に先駆けて火力戦が戦われたにもかかわらず、頑迷な日本軍はそれを認めず白兵主義、精神主義を選択したといわれる日露戦争でも火砲による戦死傷者は全体の15%です。これはあまりにも少ない数字です。日本陸軍が目覚めようにも、世界のどこにもそんな火力主義のお手本が無かった、ということなのでしょうか。

 このように野戦での砲兵の地位は19世紀後半から極端に低下していることがわかります。近代の砲兵は戦場を制する存在ではなかったということです。そうであるなら、野戦砲兵の代わりの火力とは何だったのでしょうか。それは新しく登場した大量のライフル銃です。産業革命以降、品質が上がり大量生産されたライフリングつき銃身の歩兵銃は野砲の射撃に対抗し、一斉射撃を重ねることで野砲を圧倒できたのです。十分に築城された要塞の攻防戦でもない限り、歩兵は大砲より強かったということです。

 そんなことが起きるのは野戦砲兵が突進する歩兵部隊の後方から掩護射撃を行う存在ではなく、敵歩兵の射撃に曝される距離で歩兵と肩を並べるようにして戦っていたからです。ライフル銃の登場はその射撃精度と長い射程で「すぐそこに見える」野砲兵まで銃弾が届くようになったことを意味します。19世紀後半は野戦砲兵にとって苦難の時代なのです。しかし、当時の大砲の射程距離はたとえライフル化されたとはいえ、歩兵の持つ小銃よりも長いはずです。それなのに、なぜ、野戦砲兵はこんな至近距離で戦っていたのでしょう。

 当時の野砲が発射する弾種は主にショットガンのような榴霰弾です。野戦では極めて有効な殺傷力の大きい弾丸ですが、敵歩兵の大軍を一気に崩すには必要な場所、必要な時に、たくさんの大砲を集めて使わなければなりませんから、当時の戦術家たちが頭を悩ませていたのは強力な武器である大砲をどうやって決戦場の最重要地点に持ち込むか、という問題です。なにしろ大砲は陸戦兵器の中で際立って重く、運ぶのに手間が掛かる兵器です。牽引用の前車が発明され、馬匹牽引が容易になってからも事情は基本的に変わりません。そのために野戦砲兵が用いる大砲は歩兵部隊の機動に追従できるように軽く、簡易なものであることが必須でした。

 そのために大口径で強力な大砲は攻城砲として用いられるだけで、野戦では中口径の軽い砲が主体となります。野砲の口径が第二次世界大戦まで75mmという中途半端な数字だったのは、分解せずに砲車を取り付けて馬で牽ける限界がそこにあったためです。それでも大砲は自分の足でサッサと歩いていってしまう歩兵に比べて機動力で大幅に劣る存在です。そんな機動力に劣る砲兵を必要に応じて素早く機動させるため、常に半数の砲兵を戦闘に投入せず、予備としてその後の進撃に備えるのがナポレオン時代までの常識でした。

 こうした非効率な運用を批判して改革を進めたのがモルトケ時代のプロシア陸軍です。プロシア陸軍は野砲の牽引により一層の馬と人とを投入して全砲兵を一斉に動かすことを目標とします。砲兵火力の発揮には大量の砲を集中させることが一番だからです。けれどもいくら努力しても砲兵の集中は時間が掛かり、決定的局面に投入できない事態が発生しています。50門から60門の集中でこれだけの苦労ですから、100門以上の集中はそれこそ知恵を絞った運用の妙なくしては実現できない課題でした。

 そして運よく理想的な規模の集中を成し遂げることができたとしても、今度は射撃精度の問題に突き当たります。大量の砲を集中しても射撃精度が低ければ弾着は拡散して思うような効果が上がりません。当時の野砲でも2000m程度の距離は十分に有効射程内にありましたが、流動的な展開を見せる野戦で遠距離から正確な射撃を組織的に加えることは困難でした。それに加えて2000mの距離を隔てた敵歩兵部隊を射撃する場合、もしその中間に友軍部隊などが存在したら、多くの場合、敵との区別が明確につきません。そうでなくとも砲兵の視界は多少の草木や土地の起伏があっても妨げられてしまいます。

 こうして野砲兵の射撃はだんだんと近距離射撃へと向かいます。プロシア陸軍では野砲の射撃距離1500mを基準としていましたが、実戦ではそれが1000m以下となり、500m程度となり、極端な場合には敵歩兵との距離200mで銃火を浴びつつ放列を展開するという事態も発生します。
自己犠牲を尊ぶプロシア陸軍とはいえ砲兵にとっては厳しい戦いです。

1 馬匹牽引で機動力を得るために軽量小口径砲となる
2 小口径のために威力が不足し、大量集中が求められる
3 射撃精度の低さから集中砲撃は近距離で行われる
4 直接照準の視界確保のためにも近距離射撃傾向が増進する
5 その結果、長射程ライフル式歩兵銃の一斉射撃が野砲の脅威となる

 大雑把に捉えるとこんな具合で、野戦砲兵は強力な火力を備えながら、決戦場に遅れることなく姿を現すことも大変な苦労と幸運を必要とし、戦場に到達できてもその威力を十分に発揮するには敵の銃火に曝されながら放列を敷くことになる、といった苦難の時代を第一次世界大戦まで過ごしてきたということです。
 野戦砲兵とは第一次世界大戦まで、戦場を制する火力戦の主役といった言葉からはまったく程遠い、ほんの補助兵力と考えられた軽い存在でしかなかったのです。

 間接射撃については次回になってしまいましたが、どうかご容赦願います。

4月 11, 2010   Posted in: ドクトリン, 砲兵の仕事, 第一次世界大戦, 陸戦

11 Responses

  1. Tweets that mention いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 1 (重視されなかった野戦砲兵) -- Topsy.com - 4月 11, 2010

    [...] This post was mentioned on Twitter by 匿名希望さん. 匿名希望さん said: http://stanza-citta.com/bun/2010/04/11/561%E3%80%80%E5%B8%B8%E8%AD%98%E3%81%8C%E8%A6%86%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%9E%AC%E9%96%93%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81% [...]

  2. 早房一平 - 4月 11, 2010

    戦争絵画に描かれている砲撃の場面は「凝縮したものでは無く」実際をそのまま描いていたのですね。

  3. ヒロじー - 4月 12, 2010

    最近たまたま19世紀の野砲に触れてる記述を目にする機会があったんですが、3ポンド砲とか4ポンド砲なんていう小さな大砲が大量に野砲として購入されてるのを不思議に思ってました。そういう背景があったんですね…。

  4. ペドロ - 4月 13, 2010

    大山巌謹製の彌助砲なんてさらに小さなものですが、馬匹牽引では欧米より条件が厳しかった日本ではこれくらいが適当と考えられたんでしょうか。

  5. ggddczmf - 4月 16, 2010

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  6. wittmann - 4月 19, 2010

    なんと!重砲のよる間接射撃は日本軍が初実践ですか?
    明治期の軍人と昭和期の軍人はまったく別の人種の感があります。

  7. wittmann - 4月 19, 2010

    すいません。さっきのコメントはつぎのコラムへのコメントでした。

  8. BUN - 4月 20, 2010

    wittmannさん

    近代的な野戦で大規模に用いた、という限定がつきます。
    そして動かない目標を撃つ攻城砲は間接射撃が当たり前の世界です。
    もし日本側が大陸に要塞化された拠点を持っていればロシア側の重砲の積極的な投入が行われて野戦の事情も変わったかもしれませんね。

  9. BUN - 4月 20, 2010

    早房さん

    レスが遅れてごめんなさい。
    まさにそうしたイメージです。
    野戦での数百mは確かに至近距離ですね。

    ヒロじーさん

    確かに兵器を個々に眺めていると見えにくい部分かもしれません。

    ペドロさん

    弥助砲はよくわからない部分がある大砲ですけれども、臼砲の系譜は野戦重砲の時代が来ても十分に役立つ存在だった、という話をもう少し先で紹介したいと思っています。

  10. 騎青 - 4月 21, 2010

    以前より楽しく拝見させていただいております。書き込みは初めてです。

    19世紀末から20世紀初頭の当時のアイアンサイトが、2000m程度まで設定されているのは、機関銃が普及していないという火力が低い時代に、長距離からの阻止射撃や威嚇射撃の類のために、とりあえず付けている、という認識でした。
    しかし砲兵の運用という面から眺めてみますと、砲兵は前線に出張って砲列を敷き直射を行っているわけですから、歩兵が、前列にいて身を晒している敵砲兵の段列に対して、遠距離からでも斉射をもって打撃を与えられるということで、アイアンサイトの長射程というのも不自然ではないのだなと思いました。

    また砲兵の運用について大いに認識が改めさせられました。ありがとうございます。
    図々しいですが、今後も期待して記事を待っております。

  11. BUN - 4月 22, 2010

    騎青さん

    こちらこそはじめまして。
    こんな事を書いていても読んで戴ける人がいると思うとありがたい限りです。これからもよろしくお願いします。

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