無視された高射砲

 ドイツ本土へ侵攻する戦略爆撃作戦は護衛戦闘機がその往路と復路を全てカバーできるようになるまで大きな犠牲を強いられましたが、友軍戦闘機の完全な護衛が実現しても損害が無くなった訳ではありません。現実にはドイツ本土上空で長距離爆撃機を迎える脅威はドイツ戦闘機だけではなく、むしろより厄介な高射砲という敵がありました。

 第二次世界大戦参戦前まで、アメリカ陸軍航空軍は敵高射砲についてあまり関心を払っていません。第一次世界大戦でも深刻な損害を受けずに済んでいましたし、スペイン内戦の情報も対空砲火の脅威を伝えるものが無く、低空を飛行する攻撃機や中型爆撃機ならともかく戦略爆撃に用いる高高度爆撃機にとって、敵の高射砲は脅威にならないと予想されていました。

 支那戦線で要地爆撃を繰り返していた日本海軍の陸上攻撃機も高射砲の脅威に高高度飛行で対抗し、高度8000メートルからの高高度爆撃を続けていましたから、アメリカ陸軍航空軍の判断はそれほど的外れでもありません。高射砲は砲座を中心とする半球状の射界を持っていますが、その頂点近くの狭い部分を飛び抜けることで射撃機会を減らし、命中率を格段に下げる手法が常識化していたのです。B-17も、日本海軍の陸上攻撃機も、B-29も爆撃に用いる常用高度はほとんど変わりません。

 しかし1942年夏に実際の爆撃作戦を始めた際に、ドイツ軍の高射砲は戦闘機より大きな脅威と認識され「10秒以上の直線飛行は被弾を招く」との警告が発せられます。これ対して、回避運動をそんなに頻繁に行えば正確な爆撃照準ができないと反発したのが東京無差別焼夷弾爆撃で有名なあのカーチス・ルメイ大佐です。

 10月に第305爆撃グループと共にイギリスに到着したルメイはフランス軍の75mm野砲で距離25000フィートにあるB-17と同寸の目標に対して射撃した結果、命中弾を得るのに375発を要したことを理由にこの警告を撥ね退け、1942年11月23日にサン・ナセール爆撃に向かいます。当日はルメイ自らが搭乗する指揮官機を含めて16機のB-17が出撃してサン・ナゼールの港湾施設に爆撃を行い16機中、6機が被弾します。しかし被撃墜機は無く、ルメイは全く回避行動を行わず爆撃を成功させたことを誇り、大いに自慢しています。ルメイという人物は冷徹な戦術家ではなく、それなりに軍人らしい現場の人間のようですね。

 爆撃作戦がドイツ国内に展開されるようになってから高射砲の射撃はかなり深刻な脅威となって来ましたが、アメリカ爆撃機部隊の対応は不思議なほどに鈍いものでした。当然、爆撃目標の偵察情報から高射砲陣地の位置や密度についての事前情報がありましたが、爆撃機の目標侵入方向が高射砲陣地によって決定されることはむしろ稀で、爆撃作戦のプランナー達は爆撃効果を最優先にして全てを決定していました。このために高射砲陣地はいかに危険な存在ではあっても直接の攻撃対象にはならず、どんなに激しい爆撃の下でもドイツ軍の高射砲は一方的に射程に入るアメリカ爆撃機を射撃することができました。

 しかもドイツは高射砲の生産優先順位を常に高位に保ち、1944年末には航空機生産よりも優先しています。ドイツ戦闘機部隊が弱体化した1944年以降、アメリカ爆撃機にとっての脅威は高射砲のみとなっていたからです。このため1944年末、重高射砲約16000門、軽高射砲約50000門、探照灯7500基、阻塞気球1500基がドイツの防空を担っています。高射砲の射撃密度はルール工業地帯の重要部で200トン/分の投射弾量を記録し、ベルリンでも70トン/分に及んでいました。

 それでも高射砲陣地に対して積極的な攻撃が実施されるようになったのは1944年末以降のことで、爆撃機部隊から高射砲陣地制圧のために一隊を割き、高射砲を制圧してから本隊が爆撃に入るという戦術がしばしば採用されるようになります。太陽を背に侵入するなどの対策もありましたが、高射砲に対して最も有効な対抗手段は迅速に多数の爆撃機を目標上空に侵入させることで高射砲の射撃を飽和状態に導くことでした。

 1942年8月から1945年5月までの間にドイツ戦闘機によって撃墜されたアメリカ機は合計4274機に達します。その内訳は重爆撃機2452機、中爆撃機131機、戦闘機1691機です。一方、高射砲による損害は合計5380機、その内訳は重爆撃機2439機、中爆撃機492機、戦闘機2449機です。機種別のソーティ数は重爆撃機27万4921ソーティ、中爆撃機9万6523ソーティ、戦闘機52万7314ソーティでした。

 戦略爆撃部隊を短期間で壊滅に追い込むほどの数値ではありませんが、ドイツ軍高射砲がいかに重大な脅威であったかがわかる数字です。けれどもアメリカ戦略爆撃部隊は1943年中にドイツ戦闘機の脅威を無視しようと努めたように、長距離爆撃機の機数に余裕が出るまでは戦略目標の破壊を最優先として高射砲陣地への制圧爆撃を実施しなかったのです。

 戦後まもなくドイツ本土の高射砲と戦闘機の邀撃をシミュレートした図演が行われます。その結果、高射砲と戦闘機の連携による邀撃網を潜り抜けて帰還する爆撃機はありませんでした。そのときルメイは「経験は君達の予想とは異なるものだ」とやっぱり誇らしげに語ったそうです。計画と分析を重んじる戦略爆撃部隊もやはり現場は度胸千両の男の世界なのかもしれません。

勝ったからいいようなものの・・・。

9月 8, 2008 · BUN · 10 Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊

10 Responses

  1. 早房一平 - 9月 8, 2008

    ええっと、高射砲による戦闘機の損害が2449機、ビックリです。
    彼らはなぜ落とされたのでしょう?

  2. BUN - 9月 8, 2008

    低空に降りていたからですね。

  3. でぐちゃれふ - 9月 9, 2008

    大戦末期のドイツ軍で高射砲に時限信管は必要無いとされ、着発信管への切り替えが行われていたという話を「対空戦」(イアン・ホッグ)という本で読んだのですが、これだけの撃墜数(サンプル数)を数えていたから統計的に自信を持ってそんな(常識に反して見える)結論が出せたのでしょうか。
    それとも単に軍需工場の被爆で信管の生産が滞っただけなのでしょうか・・・?

  4. BUN - 9月 9, 2008

    やっぱり高射砲は撃つ側からも見なきゃいけませんね。
    仕込みに入ろうと思います。

  5. おがさわら - 9月 9, 2008

    これ戦闘機の被害は、20mmAAとか含んでるんだよね?
    なんぼ低空を降りても、戦闘機に88mm flakは当たらないでしょ。

  6. BUN - 9月 9, 2008

    そうですよね。50000門も88ミリがあったら、結構大変なことですよね。

  7. BUN - 9月 9, 2008

    仕込みに入る前にアラカルトで。

    でぐちゃれふさんのご質問はおそらく、時計信管と着発信管の併用弾のことだと思います。
    1943年夏からの研究で時計信管と着発信管の両方を装備すると効果的であることから、この提案が行われますが、着発信管を装備すると輸送時に危険があるとの反対論によって採用されず、1945年4月になってから実戦に試験投入されて極めて効果的と判断されています。

    ですから信管の不足ではなく、もっと余裕のある時期の研究が敗戦直前に実験されたということです。
    第一、着発信管のみだったら、命中しなかった砲弾は「爆弾」に早変わりしちゃいますものね。

  8. でぐちゃれふ - 9月 9, 2008

    御回答ありがとうございます。
    すみません、自分が読み間違えていました。
    「対空戦」(ようやく荷物の下から引っ張り出せた)に書かれていたのは時限信管を距離と無関係に最大秒時で設定して直撃を狙うという話でした。
    実験期間中?に「時限信管にかえて着発信管を使用するようになった」という記述があったので誤解してしまったようです。
    信管の製造とは関係ありませんでしたね(汗)

    重ねての質問で失礼します。
    輸送時の危険とは、通常の野砲弾などより安全性に問題があるということでしょうか?
    仕込み中の記事内容に含まれる事柄でしたらスルーしていただいて構いませんので。

  9. BUN - 9月 10, 2008

    88mm高射砲弾は榴弾の場合、約70個の破片を放って機体外板を貫通させて燃料系統や操縦系統を破壊することで撃墜に導きます。ということは直撃した場合、構造材を破壊せずに貫通してしまうこともあったのではないかと思います。
    1945年4月のミュンヘンでの実戦(弾薬不足から在庫の併用弾が供給された)で13機を撃墜、1機撃墜あたり平均370発消費という驚異的な好成績(通常4500発)を収めた理由はそのあたりなのかもしれません。

    弾薬の輸送については詳しくはわかりません。地上戦闘にも対応する野戦高射砲ではなく、国内防空陣地の高射砲に供給する場合は時計信管の対空榴弾に比べて、注意が必要だったのでしょうね。

  10. kien thuc suc khoe - 11月 21, 2018

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