アメリカ空軍力の飽和点

 アメリカ参戦後、AWPD-1に続く航空戦構想が研究され始めます。西半球防衛とヨーロッパ反攻作戦に先立つ航空作戦を中心にすえた新構想はAWPD-4と呼ばれ、三つのフェイズから成り立っています。第一フェイズはアメリカ、イギリスの防衛とアフリカの諸拠点への防衛線の拡大、第二フェイズはヨーロッパ大陸反攻作戦のための決定的な航空優勢の確立、第三フェイズは日本に対する戦略的航空戦です。

 このためにAWPD-1が要求した以上の航空兵力整備要求が行われますが、航空兵力の充実が最優先課題とされてはいたものの、AWPD-1以上の航空兵力整備計画は地上兵器と艦艇の生産要求と今まで以上に激しく競合することからAWPD-4は公式に受け入れられることなく1942年1月には廃案となり、既に承認されていたAWPD-1の継続が決まります。

 開戦時のアメリカ陸海軍にとって許容できる限界の航空軍備拡張はAWPD-1の水準だったということですが、実際に戦争を始めてみると少し事情が変わってきます。アメリカ陸軍の軍備計画はフランス崩壊直後の1940年には地上兵力215個師団、航空兵力115グループ(AWPD-1の要求兵力)の整備を目標としていましたが、開戦後1年を経た1942年冬には地上兵力の要求は89個師団に減少してしまいます。ナチスドイツに対する戦争では地上兵力の拡充よりもその空軍力の撃滅が最重要課題であることがより深く認識された結果ですが、そして空陸の兵力バランスが大きく変わる中で新しい航空戦計画が生まれます。

 1942年ルーズベルト大統領からアーノルド中将に対して新計画の研究が命じられ、イギリス空軍の代表も含めた米英合同の体制で1943年から1944年前半にかけての航空戦計画が立案されます。この計画はAWPD-1942と呼ばれ、そのテーマは今までより一層明確にドイツ空軍の撃滅とドイツ上空での航空優勢確立に置かれます。

 AWPD-1とAWPD-1942は基本構想では良く似ていますが、いくつかの違いがあります。第一にAWPD-1942の研究が行われた1942年8月末以降には1944年前半までにB-36が配備できる可能性は全く無いことや、B-29の配備数もごく少数に留まることが予測できたために1944年前半までの対ドイツ戦略爆撃の主力をB-17とB-24に置いている点です。AWPD-1の研究が行われた時点ではイギリス国内の航空基地数と収容能力が大幅に不足すると判断されたためにB-29やB-36を必要としましたが、AWPD-1942ではよりイギリス空軍の基地事情が明確となり当面の作戦に必要な爆撃機を配備できることが判明したため行動半径の小さいB-17、B-24クラスでも作戦可能とされたのです。

 第二に爆撃目標の優先順位が異なります。AWPD-1は総合的にドイツの継戦能力を喪失させる目標選定が行われ、電力関連施設や石油関連施設、輸送システムを第一の目標として、順調に行けば航空作戦のみでドイツを崩壊に導けるとさえ考えていましたが、AWPD-1942ではヨーロッパ反攻作戦に先駆けてドイツ上空での航空優勢を確立することが明確な目的としてありましたから、目標選定は第一に軍用機の組立工場、そして発動機工場、次いで潜水艦を建造する造船所、輸送システム、石油、アルミニウム、ゴムなどの関連工場となっています。

 第三に地上兵力によるヨーロッパ反攻作戦の予定時期が異なります。AWPD-1では1942年後半から開始される6ヶ月間の集中的戦略爆撃に続いて反攻作戦が行われる想定でしたが、AWPD-1942では地上兵力のヨーロッパ反攻作戦は1944年後半に延期されています。この作戦時期の延期は爆撃機の機数不足を理由としていて、AWPD-1942策定時に発生したアメリカ海軍との軋轢の産物でもありました。

 当初、AWPD-1942は1943年度に生産される重爆撃機、中型爆撃機を海軍には一機も供給しないことを前提としていました。けれども海軍としてはこれでは収まりません。当時、西半球防衛とは実質的に大西洋で行動するドイツのUボート対策のことでしたから、海軍としては行動半径の大きい対潜用の哨戒爆撃機が必要だったからです。またAWPD-1942は合計281グループの航空兵力を要求していたのでそのための航空機生産を実施すると海軍機生産や艦艇建造をも圧迫しかねないという問題もあります。このために海軍はAWPD-1942を拒絶し、海軍対陸軍航空軍との間の対立が深刻化します。

 この対立は最終的にルーズベルト大統領の仲裁が入り、AWPD-1942をやや縮小して航空兵力の整備目標を合計273グループとし、海軍への爆撃機供給を確約することでAWPD-1942は1942年末になってようやく公式の認可を得ることになります。そして海軍への爆撃機供給と共に1943年6月には対潜航空戦の責任を海軍が負うことが定められ、陸軍航空軍は西半球防衛の任務からほぼ解放されることになりますが、結果的にはAWPD-1942の一部を海軍が担任することで合意に至ったと見ることができます。

 AWPD-1、AWPD-4、AWPD-1942と計画が改訂されるたびに要求兵力が大きくなっていますが、AWPD-1942の273グループはアメリカが保持できる航空兵力の飽和点と考えられていました。そして実際の航空兵力は1943年12月の269グループがピークになります。けれどもこの269グループには書類上にしか存在しないものが含まれています。この時点で書類上の存在でしかない部隊に乗員と地上要員を配置することはアメリカにとっても負担が大きく、1944年春には名目だけの部隊を解散する動きが始まります。

 そして最終的には1945年2月までに実体のある航空兵力243グループを整備することが目標となり、これが第二次世界大戦を通じてアメリカ陸軍航空軍の最大兵力になります。AWPD-1942が掲げた281グループ要求は海軍の対潜任務担任によって負担軽減されたことと、コストの嵩むB-29生産がもたらす負担増によって縮小されたということです。もしより巨大で高価なB-36の開発が間に合って戦時の量産が試みられた場合、アメリカ陸海軍がどんな状態になっていたのかを考えてみるのも面白いかもしれませんね。

9月 2, 2008 · BUN · 5 Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊

5 Responses

  1. おがさわら - 9月 2, 2008

    AWPD-5からAWPD-1941までの更新履歴をおしえてください。

  2. BUN - 9月 2, 2008

    ええとですね、AWPD-「1941」は戦時中は達成できず、戦後かなり経ってからハリウッドで完成したはずです。私の記憶する限りではガラの悪い戦車長が乗ったM3中戦車などが計画に含まれていました。

  3. おがさわら - 9月 3, 2008

    え~、AWPD-1862で、命からがら故郷に帰ったあと、P-40にのってロボットと戦うのが、1941じゃなかったっけ?
    で、1943ではスターリングラードで狙撃兵やるんでしょ。

    ここ十年間ほどずっと疑ってるんだけどさ、おじさん、オレに嘘教えてない?

  4. マンスール - 9月 3, 2008

    “AWPD”でGoogle検索すると、なんと2件目にこのページが!隠れ読者が多いのですね。

  5. BUN - 9月 3, 2008

    おがさわらさん

    ええ、「NYPDブルー」は面白いですよね。

    マンスールさん

    いや、べつに隠れなくてもいいはずなんですけれどね・・・。

    本ブログは「読みやすく、いつでも誰でも『受け売り』が簡単」をめざしておりますから、どなた様も「そんなブログなんぞ読んでないが、こんなことは前から知っとる」とシラを切っていただいて結構でございます。

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