空の要塞否定論 2

 アメリカ陸軍航空隊は長距離重爆撃機を開発する根拠として「四発爆撃機は洋上はるかに敵艦船を攻撃できるので沿岸防衛にも海外拠点の防衛にも最適な兵器である」と主張したことは前回に紹介した通りです。航空隊が長距離洋上攻撃能力を売り込んだために「B-17は艦船攻撃のために開発された」と解説されることもある程です。

 長距離重爆撃機は敵国中枢を破壊するための兵器であることはどこの空軍でも同じですから、陸軍航空隊の主張は100% の信念をもって語られたものではありません。B-17の発注取消しで揺れる1936年に航続距離8000マイル、時速230マイルのXB-19の開発が開始されていますが、このスペックは艦船攻撃用と主張してもおそらく誰も信じない明らかな大陸間爆撃機計画で、当然のことながら「こんな大陸間爆撃機は攻撃兵器ではないか」と批判されています。

 モンロードクトリンに基づくアメリカの国防政策は大陸間爆撃機のような攻撃的兵器を表向きに認めることができません。そのために「顕教」としての洋上攻撃の主張があり、その陰で誰もが知っていても口に出さない「密教」として戦略爆撃論があるという複雑な状況が1930年代末まで続いていたのです。

 そしてさらに面倒臭いことに「洋上攻撃」というセールストークは陸海軍の両者から相手にされません。陸軍は地上軍を放り出して何をするのか、と苛立ち、海軍は「洋上攻撃」が海軍の領域を侵すと警戒します。誰ひとりB-17を艦船攻撃機として期待していなかっということです。

 そんな訳で「洋上攻撃」を認めるか否かについては陸海軍ともに利害が一致していましたから、陸海軍と陸軍航空隊という対立構図が生まれ、利害を同じくする陸海軍間には非公式の協定が結ばれます。それは陸軍航空隊の活動領域は沿岸100マイル以内とし、100マイル以遠の洋上は海軍航空隊の哨戒機が担当するという内容でした。

 1938年1月にはそれまで陸軍に振り向けられていた沿岸防衛の役割を海軍に引き渡す動きが始まり、海軍はそれまで国内6ヵ所に限られていた陸上航空機基地の拡充と大量の哨戒機の要求を行います。これによって海軍の予算と権限が増大し、一方では陸軍の権限が縮小されるような印象がありますが、現実には沿岸100マイル協定と沿岸防衛の移譲によって陸軍重爆撃機が地上軍の上空へ帰って来るのですから陸軍の利益も大きかったのです。

 沿岸100マイル協定とは単なる政治的な協定ではなく、陸軍機が沿岸100マイル以遠を許可なく飛行することを禁止するものでしたから陸軍航空隊に深刻な影響を及ぼしています。事実上、洋上航法訓練が実施できなくなったことで航空隊の錬度が急速に低下するという事態が発生します。洋上航法訓練が停止するという長距離爆撃機にとって最大の逆風となった沿岸100マイル協定でしたが、この協定は第二次世界大戦の開戦直前にあたる1939年8月24日まで厳格に守られています。

 そして長距離重爆撃機にとってもう一つの逆風としてスペイン内戦の情報とその評価があります。スペイン内戦は政治的な宣伝に利用された「ゲルニカ無差別爆撃」の印象とは全く異なって、航空部隊の地上支援について模範となるような戦闘がいくつかあり、中型、小型爆撃機の活躍が注目を集めた戦争です。現地で観戦していた各国の武官達は本国に航空支援の戦例を報告していますが、アメリカ陸軍にとってスペインからの報告は長距離重爆撃機否定論として働き、「空軍の独立運用より地上軍支援が重要」「高高度爆撃は効果が無い」「『空の要塞』コンセプトはスペインで死んだ」といった調子で長距離重爆無用論が沸き起こってしまいます。

 そんな逆風の吹き荒れる中で1938年5月には開発以来すでに4年も経過してしまったB-17に代わる航続距離4000マイルの爆撃機要求が陸軍省に提出されますが、この要求はすぐさま強力な否定論に阻まれてしまいます。

・国防方針はそのような攻撃的兵器を必要としない
・沿岸から離れた洋上作戦は海軍の管轄
・B-17を1機購入する費用で哨戒艇なら2、3隻が購入できる
・パナマ、ハワイの防衛にもB-17以上の爆撃機は不要
・B-17を67機購入する費用で攻撃機300機を購入できる

 
 こんな否定論ばかりの環境で、我らが「空の要塞」達はどうなってしまうのでしょう。
 それは次回のお楽しみです。

8月 20, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊

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